夏から秋へ

午前中の仕事を終え家に帰ると、先ずシャワーを浴びて汗を流し缶ビールを飲みながらテレビのスイッチをいれる。コマーシャルを見るのが厭なのでもっぱらNHKばかりを見る。昼時日本列島を見ながら飯を食い、45分からの連続ドラマを見終わると昼寝をする。今年の夏は例年に無い猛暑で、日中は仕事にならないので夫婦二人3時4時までゴロゴロしている。そして又午後のアスパラの収穫をして、そのあと日没まで草刈り等の仕事をやり一日の仕事を終える。百姓を始めて約五年。年を追うごとに仕事が怠慢になってきた。神奈川からこちら長崎に来た頃は目の色を変えて畑仕事をしたものだが、慣れあるいは飽きなのだろうか仕事に対する欲も余り無くなったような気がする。

こちら長崎に家族五人で移り住む前、私は生まれ育った神奈川の農協で酪農ヘルパーという仕事をしていた。酪農ヘルパーは搾乳を中心とした乳牛の飼育全般を請け負う仕事で、年中無休の酪農家に休日を与える仕事。そこで私は30件程の農家を担当していた。都市酪農なので住宅地のなかにいきなり牧場があったりする。そんな環境だったので、酪農家の一番の悩みが糞尿の匂いとそれの処理である。一度、牧場主と隣接する住宅の家主が口論している所に出くわした。この時の口論の種はハエである。住宅の家主はハエが飛んでくるのでどうにかしろと強く迫った。牧場主はそれに対し、「よーし、じゃあこうしよう。俺んとこのハエに赤く色を塗るから、お前んとこのハエには青く色を塗れっ!そうすりゃ俺んちのハエが飛んで行ってるかどうか判るだろっ!」と啖呵を飛ばした。その気迫に負け隣接の住人は黙ってしまった。牧場は、住宅が立ち並ぶずっと以前からここに有ったわけで、後から来たものが文句を言える道理は無い。でも実際、そこの牧場はよそにもまして特別臭く汚い牧場だったので隣接の住人が文句を言いたくなるのが判らないでも無かった。一度、仕事中その畜舎でこけて牛の糞だらけになったことがあるが強烈な匂いが二日程身体について離れなかった。
私がこの仕事をやり始めたのは28歳の頃、時はバブル真っ只中だった。そんな時代で綺麗な仕事は他にいくらでもあったし、鍼灸あん摩マッサージ指圧師の資格を持っているのに何もこんな汚れる仕事をしなくてもと言われたが、結婚そして子供が生まれる状況に成り夢に挑戦するのは今この時期しか無いと思っての事だった。百姓に成りたいと夢をえがく私だったが知識や経験が有るわけじゃなく、この期に及んでどこかで勉強と言うわけにもいかない。農協の職員待遇で酪農が出来るこの仕事が結婚を控えた私にとって最善の道だった。

何年か酪農で輝く汗をながし、その後遠洋漁業の乗組員になり七つの海を渡り、締めくくりに沖縄で何故かサトウキビ刈りをやる。そしてその思い出を胸にどこか適当な土地に落ち着き百姓に成って暮らす。こんな計画を立て意気込んで北海道に渡った私だったが、一年くらい寄り道をしたって良いかなぁと思ったのが間違いだった。
馬の牧場で働き半年が過ぎようとしていた頃、牧場の仕事の辛さから同じ年頃の仲間達は一人二人と辞めて行き、なかには夜逃げする者もいた。その度に補充の牧童(従業員)を入れた。その中のある若い夫婦が、信じ難い話、お化けを連れて来た。眉唾な信じがたい話を詳しくしても仕方ないのでその内容は省くが、実際私もそのお化けに二三度脅かされた。元来怖がりだった私は、当時広い牧場内の一軒家で独り暮らしをしていたこともあり恐ろしさを紛らわすため毎晩酒をあおるようになった。「ここを逃げ出そう」、怖さと疲れで牧場の誰もがそう思い始めた頃、事件は霊媒師に促されその若い夫婦が牧場から出て行ったことで何事もなかったように収まった。しかし、その後牧場に平和で退屈な毎日が帰って来た後も強烈に私の中に刻まれた恐怖は消える事は無かった。後に針灸師の道に進んだのも、東洋医学を勉強して生命を理解出来れば、その時同時に目に見えない物に対する恐怖も消えると思ったからだ。

苦学のすえ鍼灸専門学校を出て晴れて街の治療院に勤めた。私なりに一生懸命勉強し臨床に当たった。がしかし、セオリーが有って無いに等しいのが東洋医学であり、能力の無い私は深く入り込むほど判らなくなり生命の理解などは夢の夢だった。人間は解らないという事だけが結局のところ分かっただけで私は臨床を始めてからたった2年でその仕事を辞めてしまった。
さてどうするかと思い悩みながら本屋をうろついている時、ある本の題名が目に止まった。「わら一本の革命」と言う本である。この本は四国の愛媛在住の自然農法を実践している福岡正信さんが書いた本である。人間は解らない事が分かるだけ、世の中の全てに価値は無く、せめて農に帰り野に生きよと自然回帰の必要性を自身の農業経験を基にそうこの本では訴えていた。私は高校の頃、就職をするに当たり自分の身を置く価値ある仕事をあれこれ考えた末、百姓あるいは漁師になって生命を養う事以外に価値ある仕事は無いと結論づけた。あの頃の思いをこの本は呼び覚ましてくれた。私は初心に帰り自分も百姓となって生きようと新たな決意を固めた。と同時に目に見えないものに対する恐怖も消えて無くなった。それは、怖がる自分自身の心が実は時と共に変わりゆく実態の無い存在であり、いわゆる「お化け」だったことにこの本を読んで気づかされたからだ。

そして行き着いた先がここ長崎であった。長崎の離島は妻の故郷でもあり、就農に付き合わせる私にとっては気楽な土地でもあった。予算の都合上、アパート住まいで持ち家無しの五反百姓からのスタートだった。
8月下旬、よそより遅く植えた借り田の稲もようやく花を咲かせた。

我が家の基幹作物のアスパラは今年の猛暑ですっかり元気が無くなり病気が蔓延している。私は仕方無く軽トラックにタンクと働噴を積み駆除の用意をする。ハウスの駆除が一番きつく嫌いだ。農薬を吸わないようにマスクをして、皮膚を隠すため長袖を着る。夏の防除は汗だくでやらなくてはならない。しかし彼岸も過ぎて今日は比較的涼しい風が吹いているので少し楽だ。丁度昼に駆除が終わった。びっしょりで気持ち悪い身体のまま軽トラックに乗り込み我が家に帰還する。新築した家の玄関先には所狭しと草刈機やら肥料やらを置いている。家を新築する時に倉庫も一緒に作れば良かったがそのぐらいは自分で作ろうと考え辛抱した。が、一年経った今だ倉庫は出来ず家の横にはブルーシートで覆った小型機械が点々と置いてあり、その間あいだから雑草が伸び種を風に運ばせながら揺れている。何だかみっともないなぁ、と思うが仕方が無い。今年アスパラで儲かったら大工さんに下屋を作ってもらおうと思っていたが、調子が悪かったので諦めた。私は溜め息をつきながら家に入る。

アスパラの病気が蔓延したのを猛暑のせいにしているが、実は私の農薬をかける時期がいつもイッテンポ遅れるのにも起因している。自然農法に憧れて百姓になった私は農薬を使う事への抵抗が今だにある。でも、結局は使うのに。
そんな半端な考えの私をアスパラは身を呈して支えてくれた。しかし高値安定していたアスパラも他の農産物と足並みを揃え今年は値を下げかなり厳しくなってきた。
農協からもらってきたアスパラの売上伝票を見ながら大きく溜め息をつく。窓の外を見れば、今年の暑さにやられて庭に植えたキュウイフルーツが枯れかかっている。畑に植えた梅は二本枯れた。そろそろ次の事を考えなければならない時期かと考える。

我が里に秋風が吹き、憂うなかれと虫が鳴き鳥が鳴く。さて今日の午後は何をしようか。
結果〜読んでお分かりのように落選です。夢多き農業者のイメージには程遠いですもんね。ちなみに、昼間からビールを飲んでたのはこの頃だけです。(←キッパリ)